大型掘立柱建物

この6本柱の巨大な櫓は、山内丸山遺跡のシンボルとも言えます。側にある復元掘立柱建物とバランスが良く、じっくり見ていると飽きませんし、古代の我々の祖先民族の生活に想いが馳せます。縄文時代の中期後半(約4500年〜4000年前)のものです。目的や用途は各種説はありますが現段階ではよく分かっていません

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北盛土

土器・石器の捨て場

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北の谷

ゴミ捨て場。多くのことがここでも分かる

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掘立柱建物−2

3つ目は縄文時代の気温が現代より4℃高かったということ。今の日本では青森は寒冷な地。科学的根拠もないのに人が二酸化炭素を排出して温暖化させているというのは私の頭でも理解できない。温暖化を主張する方々は是非縄文時代の生活を送って欲しいですね。縄文時代より寒冷化した現代日本では多くは低体温症で生きられないと思いますが、、

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掘立柱建物

二番目は古代文明が大陸や西日本から来たのか?という疑問。既に5000年以上前にこれだけの遺跡が北日本にあったということは日本人のルーツは大陸からではないという証明ではないのか?中国人と日本人の民度の差を見ても2つの人種の関連性はあり得ないと思いますが、、

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大人の墓

三内丸山遺跡の意義はいくつもあります。本格的に調べていませんが世界的史に残るような遺跡らしいこと。学校で教える「世界四大文明」に騙されてはいけません。あれは中共の創作

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