2023年04月29日

天守台ー3

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天守台からの風景

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江戸城天守閣模型

家光時代の天守は1657年の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、家光の異母弟で四代将軍綱吉の叔父である保科正之の「戦国の世の象徴である天守閣より、城下の復興を優先すべき」との提言により以後天守閣は再建されることはなかった。江戸城の天守閣は江戸初期の50年間だけ存在したのです

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天守台ー2

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天守台

江戸城の天守は1606年の家康、1622年の秀忠、1638年の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、家光時代の天守は「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣であった

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本丸跡ー3

本丸御殿は表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていた。表は将軍の謁見など公式な儀式・行事・幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場であった

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本丸跡ー2 

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