2024年08月24日

東廻廊と平舞台

広島はアクセスの良さも関係してインバウンド客に大人気。彼らは格安のJRパスを使い新幹線で東京・大阪から訪れる。僅か数か月後には人々であふれ静かに見ることはできなかった

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厳島神社入口

表参道商店街と厳島神社入口。行ったのは23年2月。流石にそろそろ混み始まるだろうと思っていたが、宮島・厳島神社ともにガラガラで周ることができた。感動しました

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3年間は最高の思い出(広島)

広電宮島口駅とフェリー。たまたま長崎、広島と訪れることになったが偶然です。元々長崎は21年に行く予定でしたから

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母の産まれた町

長崎市館内町は母の産まれたところです。私は長崎は初めての訪問ですが行くべき理由があったのです。母は幼少時に母親に東京に連れられて来て蒲田や白金で育ったが、よく長崎には行っていたようだ。特に長崎のこと、今も残る親戚のことなど繰り返し私に話した。母の雛人形はピカドン(現地では原爆のことをそのように言っていた)で焼失したとのこと。母の実父の実家は呉服商をしていたが、実父自身は朝鮮半島や上海との交易をしていた。確かに距離は東京より上海の方が近いですからね。それが普通の仕事だったんです

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出島

ここはもちろん再現されたものですが私は大好きですね。忠実に再現されていて見どころ満載です。江戸から20世紀前半にかけての長崎の地位はとても高かったのが分かる

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浦上天主堂

浦上天主堂こそ後世に残すべき核兵器被害の遺産。おそらく米国の圧力で解体されてしまった。現状で核攻撃を受けたら日本は5000万人の死者を覚悟しなければならない。私はそれを受け入れることは出来ないので核に依る抑止力保持を絶対と考える。当然核兵器廃絶を目指した平和はあり得ません。もう戦後80年も経つのに日本人は世界の冷徹なパワーバランスを見ようともしないで、まだおとぎ話の中を生きている。これは過去ほぼ外国の侵略を受けてこずガラパゴス状態で戦争に負けたショックが日本人の精神性(平和ボケ)を形成してしまったのが一番大きな原因でしょう

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長崎平和公園

日本は核武装に依る戦争抑止力を持つのが正しい道と考える。通常兵器しか持たない国は核保有国から恫喝を受けることをウクライナ戦争が証明した。かつ日本は中国・ロシア・北朝鮮という核保有国に囲まれ核の恫喝を現実に受けている。戦略核200発、戦術核500発程度を持つことにより戦争を防ぐことができる。何故なら米国に依る核の傘は幻想だからです。通常兵器で後方での協力はするかもしれませんが、米国自身の国益のために日本の戦争に対して核を使用することは絶対にありません。従って日本は自国で防衛を完結するために核兵器保持の選択をしなければならない。戦後核に対し非常に情緒的に対処してきた日本人の考えは誤りです

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