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2024年08月29日
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尚、樋口中将は満州国ハルビン特務機関長だった1938年3月、迫害を逃れ、ソ連を通過してソ連・満州国境オトポール(現ザバイカリスク)で立ち往生していた2万人のユダヤ人難民に食料や燃料を配給し満州国の通過を認めさせた。杉原千畝領事代理が命のビザを発給し6000人のユダヤ人を救うのはこの2年後の40年のことである。当時関東軍参謀長であった上司の東條英機は樋口の主張に同意しドイツの抗議を無視した。戦勝国により戦争犯罪人として処刑された東条は人道主義者でもあったのです。歴史の真実を知りましょう
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